2026/08/31 旭町を元気に
亀岡市旭町の歴史 ― 古き良き時代を受け継いで ―
私たちは亀岡市旭町に住んでいますが、この地域の歴史をどこまで知っているのでしょうか。そんな疑問を感じ、さまざまな資料を調べたり、地域の方から話を聞いたりしながら、旭町の歴史について調べてみることにしました。旭町は、古墳時代から人々の営みがあったとされる歴史深い地域です。聖徳太子の命を受けた秦河勝による創建と伝わる松尾神社や、元明天皇ゆかりの元明院など、中世からの建造物や石塔も残されています。

●近代の歩み
1875年(明治8年)、美濃田村・杉村・山階村・印地村が合併して「旭村」となりました。その16年後の1889年(明治22年)、町村制の施行により旭村が単独の自治体となったようです。また、明治5年9月には、現在の旭小学校の前身である「同寅校」が創立され、校区は旭村と出雲村であったと記されています。その後、「同寅尋常小学校」となりました。




調べていて驚いたことの一つが、現在の旭町自治会の建物です。昔からあることは知っていましたが、調べてみると、明治の時代から地域の歩みとともに存在してきた歴史ある建物であることが分かりました。知っているつもりでも、調べれば調べるほど、「こんなにも長い歴史を持つ建物だったのか」と改めて感じました。
●旭町の名前の由来
現在の「旭町」という地名は、明治時代に4つの村が合併した際、「東から昇る朝日のように、これから勢いよく発展していくように」という願いを込めて付けられた地名だと書かれていました。
現在の旭町を見ていると、地域の発展を願い、多くの人が力を出し合いながら前へ進もうとしているように感じます。「旭」という名前に込められた願いを、今の私たちも受け継いでいるのではないでしょうか。
●旭町の神社・仏閣と文化財
旭町には、長い歴史を持つ神社や文化財が数多く残されています。戦国時代には明智光秀の丹波侵攻による兵火を経験しましたが、その中でも室町時代の貴重な本殿が焼け残るなど、歴史を今に伝えています。
◎梅田神社
梅田神社は、鎌倉時代、執権として知られる北条時頼が諸国を巡行した際、当地、旧・印地村出身の家臣を伴って参拝し、自ら「梅田神社」の称号を奉献したと伝えられています。数少ない国指定の重要文化財となっています。この梅田神社を訪れたとき、地元の方から「これを守っていくには大変なんや。○○を直すだけでも○○十万いる」と聞きました。台風のときに折れかかったムロノキも、支えられながら今も生きようとしていました。
1300年以上のものを守っていくことは、決して簡単ではありません。地域の方の話を聞き、歴史を次の世代へ残していく大変さを実感しました。





◎松尾神社
松尾神社は、亀岡盆地の開拓を進めた渡来系氏族・秦氏の長である秦河勝が、聖徳太子の命を受けて創建したと伝えられています。平安時代の『延喜式神名帳』にも名を連ねる「式内社」で、格式の高い神社です。明智光秀の兵火によって境内は大きな被害を受けましたが、明応7年(1498年)頃に建てられた本殿だけが難を逃れました。軒まわりなどには室町時代の建築様式が色濃く残され、現在は京都府の登録文化財となっています。
◎天照皇大神社
山階地区の天照皇大神社には、古くから「当家制(とうやせい)」という伝統があります。氏子の中から年齢順にその年の当家が決まり、秋祭りを執り行うというものです。
また、専門の宮司を常駐させるのではなく、年令順に神主を決め、1年間の神事を行います。集落の人々が交代で神様をお守りしていく仕組みは、地域の固い結束を示す貴重な文化だと思います。
神社を守り、昔から続く行事を続けていくことは、簡単なようで実際には大変なことも多いでしょう。しかし、そうした地域の人々の努力があるからこそ、私たちは何百年も前から続く歴史や文化に触れることができるのです。



●現代への歩み
旭町がどのようにして現在の姿へ歩んできたのか、さらに調べてみました。
1888年(明治21年)には、日本で4番目となる「世界連邦平和都市」を宣言したということにも驚きました。「東から昇る朝日のように、これから勢いよく発展していくように」という「旭」の名前の由来にも通じる、先を見据えた行動力だったのではないでしょうか。
その後、1955年(昭和30年)に亀岡市へ新設合併され、旭村は廃止となりました。そして「亀岡市旭町」となりました。旭村がなくなった後も「旭」という名前が残されたことに、地域の歴史や名前に込められた思いが、今につながっているように感じます。



●現在の旭町、そしてこれから
現在の旭町は、美濃田区・杉区・山階区・印地区の4つの区から成り立っています。
町民が育てた野菜などを販売する「なごみの里あさひ」、豊かな自然ときれいな空気や水に恵まれた地域へのコウノトリの飛来、そして、高齢化が進む中で地域の人が地域の人を支え合う「旭サポートカー事業」など、旭町ならではの取り組みも進められています。
一方で、人口の減少や若者不足などにより、これまで続けてきた事業や行事を、これからも続けていけるのかという不安もあります。もう一方で、新規就農や田舎ぐらしを望んで旭町に移住されてきている方もあります。しかし、旭町には、古墳時代から続く人々の営みがあり、神社や文化財、地域の行事など、長い年月をかけて受け継がれてきた歴史があります。その歴史を知ることで、私たちは「地域をつくる側」であると同時に、「次の世代へ歴史をつなぐ役割」を担っているのだと感じます。


「古き良き時代」を守り続けることは、昔のものをそのまま残すことだけではありません。これまで地域の人々が大切にしてきた思いやつながりを受け継ぎながら、時代に合わせて新しい取り組みを生み出していくことも大切なのではないでしょうか。「東から昇る朝日のように、これから勢いよく発展していくように」という願いを込めて付けられた「旭」という名前。
その名前に恥じないように、これまでの歴史を大切にしながら、これからの旭町を地域の皆さんとともにつくっていければと思います。