2026/01/26 旭町を元気に
人の基本は「感謝」この気持ちを胸に突き進む85歳 〜蔭山 暉(かげやま・あきら)さん〜
いつも何気なく「暉さん」と声をかける、蔭山 暉さん。農事組合法人旭の事務所や「なごみの里あさひ」、木曜日の午後には川東学園の玄関で、その姿を見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。どんな時も前向きで、穏やかな笑顔を忘れない暉さん。85歳を迎えられた今もなお、旭町のために力を尽くし続けておられます。その原動力はどこにあるのか—ゆっくりとお話を伺いました。
旭町の数々の役職につかれたきっかけ
暉さんは、京都銀行に勤務され、当時の定年である55歳を迎えた後、保証会社で5年、さらに2年の延長勤務を経験されました。63歳以降は京都銀行本店に戻り3年、保証会社でアルバイトとして1年。その後いったん仕事を離れておられた頃、声がかかったのが「農事組合法人旭」の立ち上げでした。

「手続きだけ手伝ってほしいと言われて、『立ち上がるまでやで』という約束やったんやけどなぁ」と笑いながら話してくださいました。平成19年7月に準備が始まり、平成20年4月、農事組合法人旭は正式にスタートしました。
その後、美濃田区の区長を引き受けることとなり、いったん法人からは離れられましたが、「なごみの里あさひ」を立ち上げるから、また力を貸してほしい」という声に応え、平成25年7月に復帰。翌年6月、「なごみの里あさひ」は開店を迎えました。
こうして振り返ると、暉さんはいつも“必要な時に、必要な場所へ”導かれてきたように感じます。旭町にとって、なくてはならない存在—取材を通して、私自身もそう実感しました。


「旭町のために」頑張ろうと思った理由
「旭町は、亀岡市の北の端で、なかなか知られてへん町やろ。昔は“亀岡のチベット”なんて言われたこともあるんやで」
そう真剣な表情で語ってくださった暉さん。だからこそ、「旭町をもっと人に知ってもらいたい」という思いが強かったといいます。グラウンドゴルフのベストや帽子には、「あさひ」の文字。大会でそこまでしているのは、今では「旭町だけや」と、少し誇らしげでした。
「なごみの里あさひ」が始まった当初は、亀岡市民新聞に掲載してもらったり、情報誌の広告依頼に応じたり、チラシを作ったり、とにかく無我夢中。「ここが知られたら、旭町も知ってもらえる」—その一心で走り続けてこられました。
旭町への深い愛情が、暉さんを突き動かしてきたのだと、胸が熱くなりました。



これからの旭町
「う〜ん……やっぱり、なごみの里あさひを、もっと大きくしたいなぁ」
少し考えた後、そう語られた暉さん。以前の「10の提案」にもあった“農家レストラン構想”についても、思いを聞かせてくださいました。
「ここでコーヒーが飲めて、食事ができる場所があったら、人も集まるやろ。高齢者の居場所にもなるしな」
一方で、場所や資金、担い手など、課題が多いことも十分承知されています。また、若者が町を離れる現実にも触れつつ、「新規就農者が増えたらええなぁ」と、未来を見据えたまなざしが印象的でした。
その前向きな姿に、私は思わず「自分はここまで前を向けているだろうか」と、考えさせられました。
人の基本は「感謝」
「なごみの里あさひ」を立ち上げた当初、運営のことは何も分からなかったという暉さん。市役所、普及センターの職員さんに相談し、人を紹介してもらい、助けてもらう。その一つひとつが「感謝」しかなかったと話されます。
「分からんことを、人に相談できること。それが大事やな。人とのめぐり合わせは、うまくいく時も、失敗する時もある。でも、それが勉強になる。次につながるんや」
怒る前に、まず感謝する。このめぐり合わせに意味があると受け止め、次の一歩へ進む—それが暉さんの生き方です。
その言葉は、静かでありながら、胸に深く響きました。


36歳で戦死した父との「めぐり合わせ」
暉さんのお父様は、36歳という若さで戦死されました。生前は旭町役場に勤めておられたそうです。
「『お前も旭町のために頑張れ』って、見てくれてる気がするんや」
農事組合法人旭、美濃田区長—数々の役を担ってきたのも、父が“めぐり合わせてくれた”ご縁だと、暉さんは語ります。その思いを胸に、旭町のために無我夢中で走り続けてこられました。
親から子へ、そして地域へ。家族代々、旭町を思う気持ちが、今も確かに受け継がれています。


無我夢中、そして感謝
取材を終えて、私自身、何度も立ち止まり考えさせられました。「人とのめぐり合わせに感謝する」—簡単なようで、実はとても難しいことです。
怒りや苛立ちの中にも、学びがあり、成長の種がある。そのことを自然体で語られる暉さんだからこそ、多くの人が集い、多くのことが前に進んできたのだと思います。
この言葉は、年齢や立場を超えて、私たち一人ひとりが心に留めておきたいものではないでしょうか。これからも、旭町の歩みとともに、蔭山 暉さんの姿を応援し続けたい—そう心から感じた、あたたかな取材の時間でした。