2026/02/25 旭町を元気に
「旭町がふるさと」「あさひ太鼓」を愛し続ける人~74歳 人見敦裕さん~
「敦裕さんならやれる」――。旭町でそう口にする人は少なくありません。40年以上にわたり「あさひ太鼓」を続け、かつては亀岡市旭町山階区長を務め、現在は「旭町青少年育成協議会」に長年携わっておられる人見敦裕さん(74)。地域の誰もが頼りにする存在です。そんな敦裕さんの思いをお聞きしました。

■ 役職を引き受け続ける理由
「旭町の住民が笑顔で元気に暮らしてほしい。子どもから高齢者まで、みんなが暮らしやすい町にしたいんや。」穏やかな語り口の奥に、揺るがない信念がありました。
その言葉を話される時の真剣な眼差しが、忘れられません。
特に強くにじみ出ていたのは、「子どもたちに、この町で長く暮らしてほしい」という願いです。若者が都市に憧れる時代。それでも敦裕さんは、この自然豊かで落ち着いた旭町を心から愛しておられます。


その思いは行動となり、「山階区公民館の新設」や「山階区墓地移転」など、地域の大きな節目にも関わってこられました。“新しく、そして住みよい町へ”――。その一歩一歩に、敦裕さんの覚悟が込められていたのだと感じました。
■ 「あさひ太鼓」は人生そのもの
「あさひ太鼓は大好きや。」
そう言った瞬間、敦裕さんの目が少年のように輝きました。その表情があまりにも印象的で、胸に焼き付いています。
始まりは40年以上前。当時は5~6人ほどの小さなグループ。友人に誘われて参加されたのがきっかけでした。「最初からおるメンバーで残ってるのは、もう僕ぐらい。でもな、これだけ続けてこられたのは“好き”やからやなぁ。」しみじみと語るその姿に、積み重ねた年月の重みを感じました。



コロナ禍前には子ども太鼓の募集も始めようとしていました。しかし、矢先に広がった感染症。活動は思うように進まず、悔しさもあったといいます。
それでも今は、女性メンバーや60代の仲間も加わり、新たな「あさひ太鼓」として歩みを続けています。
「嫌なことがあったらな、太鼓に力をぶつけたらええ。」
太鼓は、敦裕さんにとって元気の源であり、心の支えでもあるのです。
さらに敦裕さんは「雅楽」にも取り組んでおられます。太鼓とは異なる、吹いて奏でる音の世界。多くは太鼓仲間の男性メンバーだそうです。
「あさひ太鼓」と「雅楽」。この二つを守ることは、旭町の伝統を守ること。
そしてそれは、旭町そのものを守ることなのだと確信しました。
■ 変わる旭町、変わらぬ思い
現在の旭町は高齢化が進み、若者の多くは町を離れます。小学生の数も少なく、少子化の現実は深刻です。「夏祭りの時は子どもがようけ帰ってくる。それがうれしい。やっぱり“すたれへんなぁ”と思うなぁ。」
一度は町を離れても、ふるさとへ帰ってくる。
その循環こそが、旭町を支えていくのだと敦裕さんは言います。
一方で、課題も山積みです。交通や買い物の不便さ。
「もっと住みよい町になれば、人は集まると思う」と真剣に語ります。


また、「昔のしきたり」が若者にとって重荷になっているのではないか、とも。
「昔は当たり前やったことが、今は違う。役職も負担やと思う人が多いんやろな。」
少し寂しさをにじませながらも、現実を受け止めておられました。守るべきものと、時代に合わせて変えていくもの。どちらも必要なのかもしれません。
■ 若者へ伝えたい一言
敦裕さんは40代の頃、仕事の休みである土日にお父様を手伝い農業をされていました。50代になると立場は逆転し、お父様が支えてくださったそうです。
しかし今は状況が違います。
「今の50代、60代はまだ現役で、農業中心でもない。これからの世代に頑張ってほしいなぁ。」
そして、最も印象的だった言葉があります。
「“旭町がふるさと”って、心の片隅に置いといてほしい。」たとえ町を離れても、その思いがあれば、いつか帰ってくる。
人はふるさとを嫌いにはならない――。その言葉に、胸がじんと熱くなりました。
ふるさとは、心を休ませる場所。懐かしさに導かれ、また戻りたくなる場所。その存在こそが、町をつなぐ力なのだと教えていただいた気がします。

■ 取材を終えて
「そんな大したことしてへんよ。」取材をお願いした時、敦裕さんはそう笑っておられました。けれどお話を重ねるほどに感じたのは、深い郷土愛でした。
住民が元気で長く暮らせる町にしたい。
そのために考え、動き続ける人。
「あさひ太鼓が一番好き」と語るあの輝く表情。
“好き”と胸を張って言えるものが、旭町の伝統であるということの尊さ。
「ふるさと」と「伝統」を愛し続ける姿は、年齢を超えて旭町を支える力そのものだと感じました。
これからも、敦裕さんの太鼓の音が、旭町に力強く響き続けることを願っています。